何度かここでも書いているように、現在、人生3度目の就職活動中です。自分の人生を振り返ると、就職活動以外にも、人生の分岐点をスムーズに乗り越えられたという記憶があまりありません。最近の例では、アメリカの大学院受験でも、1度目は見事に失敗しています。

人生で先に進もうという時に、まずは「こういう風になりたいよなぁ」という漠然としたイメージを持つと思います。それを実現するために最適なポジション、例えば「○○大学に入りたい」とか「○○という仕事につきたい」とか「○○という会社に入りたい」などと考えるのではないでしょうか。たまに、「なぜ?」がすっぽり抜けて、ひたすらポジションを取りに行っている人もいたりしますが。

そして次に、そのポジションに就くための方法、手段を調べて実行していきます。

先輩たちの合格体験記を読んでノウハウを調べたり、

必要な知識を教えるのが上手な先生を探したり、

同じようなところに行こうとしている仲間を探したり、

モチベーションなどメンタル面をサポートしてくれる人に会ったり、

すでにそのポジションについている人に会って必要なことを考えてみたり、、、

とするのが通常のパターンでしょう。そして、これに関連する学校、グループ、ビジネスなどもいろいろあります。

 

普通の人は、これらから自分に合ったものを取り入れてやっていくと、行きたいところに行けるんでしょうね。ただ、僕自身は大人になってからの人生の分岐点で、そのようなプロセスだけで、うまくいったことが一度もありません。

手を尽くしたと思っているのに、結果が出ない。時間もどんどん過ぎて、焦ってくる。悩み、苦しむ。底にはまっているような感覚をかなり味わい、もうだめじゃないかとまで思った後に、ようやく浮上できたという記憶ばかりが残っています。

言い換えると、「なりたい」を通り越して、苦しい時間の中で「なってどうしたいのか?」がはっきりと意識できた後に、ようやくなれたのです。

たとえば、スポーツ記者になった時は、「スポーツが好きだから」とか「文を書くのが得意だから」とかではなく、「スポーツの話をスポーツの枠の中だけにとどめないで、伝えたい。スポーツは勝った、負けたと感動ストーリーだけじゃない」という自分の心の奥底にあるものを言葉につむぎだして、はっきりと自覚できた時に、ようやくその仕事につけたのです。ある面接でそう説明した時に「そういう分野の原稿は”部際”っていうんだよ」と教わったことを今でも覚えています。(思い返せば、当時からスポーツとビジネス、スポーツと社会というようなことを意識していたんだぁ…)

アメリカの大学院受験でも一度目に失敗した時は、仕事に追われていたこともあり、この自分の心の奥底を見つめることが足りなかったのだと思います。なんとなく、かっこよく聞こえるんだけど、心からのものではない言葉は、やはり人の心を動かせません。手間を惜しまず、考える時間も惜しまない。ひとつの課題を、ずうっと自分の中に置き続けるのは、重苦しく、しんどいことです。でも、それを経ないと先に進めませんでした。

会社や組織では、ビジョンやミッションというのを掲げています。それに似ていると言えなくもないのですが、僕個人の経験は、そんな洗練されたものではありません。まるで、まだ泥がいっぱいついたままだけど、ようやくジャガイモを土から取り出せたような感じです。それでも、一生懸命掘り出したものは、「ほら! こんな感じです」と人に見せる時に、ちょっぴり胸を張って見せられるじゃないですか。こういう微妙なところが、人生の分岐点のような大事なところでは、相手に伝わるのではないかと僕は思っています。

 

今回の就職活動では、最近になってようやく、「なって、どうしたいのか」が言葉として浮かび上がりつつあります。それは次回に、改めて書きます。