日本のスポーツを見続けていて長い間気になっていたことが、別の人と同じような視点を共有できて非常にすっきりしました。

先日、ドイツ・ブンデスリーガのフォルトナでフロントの仕事をしている瀬田元吾さんの講演を聞きました。ドイツのサッカーの現場にいる日本人としての様々な提言は非常に有意義なもので、考えさせられる点がいろいろありました。中でも「ドイツでは選手名の横断幕をほとんど見かけない」という話、選手を応援する「ファン」とクラブを応援する「サポーター」は違うのでは、という指摘が強く印象に残りました。

私自身も選手の一挙手一投足を熱心に見守るような「ファン」は日本独特だな、とかねてから気になっていました。遡ると、2002年サッカーワールドカップの時に、日本のファンはブラジルの選手に会いたいと韓国の滞在先のホテルまで行ったとか、日本ではキャーキャー騒がれていたイタリアの選手たちが韓国ではさっぱり人が集まらなかった、というのを報道で知った頃からです。

日本のスポーツを支えてくれる人を考えた時に、この「ファン」を入り口に入ってくる人が多いです。例えば、最近だとアイドルみたいな写真が並ぶ「スポーツ男子。」のような雑誌が商売になっています。カワイイ女子選手をやたらと報道するのも、この傾向に合わせたものです。また、選手別の応援歌というものが、プロ野球でもサッカーでも当たり前のようになっていますが、僕の知る限り、米国でも欧州でも非常に少ないです。

一方、選手がいくら入れ替わろうとクラブを応援し続ける「サポーター」も、古くはプロ野球のチームを熱心に応援する人、そしてJリーグ開幕後じわりじわりとその文化がさらに拡大、醸成されてきました。クラブや選手を尊重しながら、時として厳しいことを指摘したり、抗議したりもします。

日本ではこの「ファン」と「サポーター」の境界線が曖昧です。言葉としても「巨人ファン」などと、使うのが当たり前です。少し前に「カープ女子」というのが報道で多く取り上げられましたが、この言葉も、広島のある選手を応援することをメインとしている女子と、広島生まれでチームを愛している女子というのが混在しているような印象を持ちました。

 

ただ、「ファン」と「サポーター」がそれぞれ求めているものは違います。そして、相手にするチームやクラブの側は、いろいろなタイプのチームに関心を持ってくれる人たちをそれぞれ分けて、満足させる打ち手を考えるべきだと思います。このテーマに関しては以前、このブログでも書きました(2012年1月30日 「ファンをひとくくりにしない」)。

チームを経営する立場からすると、選手が移籍や引退をするといなくなってしまう「ファン」ではなく、変わり行くチームを愛し続けてくれる「サポーター」の数を増やさなければなりません。これは日本のスポーツマネジメントを考える上でのキーポイントでしょう。しかし、この「ファン」→「サポーター」への変化をどう促すのか、という解決策は、僕自身もこれだと言い切れるものが今のところありません。今回は、考えのまとめと分析だけになってしまい、申し訳ないです。もうしばらく考え続けます。