あけまして、おめでとうございます。

新年最初のネタは、少し重めの内容を提供したいと思います。

 

野球やサッカー、ゴルフなどのプロスポーツは別として、よく知られているかどうか、というような意味で「このスポーツは”メジャー”なのか?」というのは、スポーツ好きの間の会話の中ではよく出てきます。

僕はスポーツ記者としては、プロスポーツを取材したのはテニスくらいで、あとはほぼオリンピックの時だけ注目を集めるような競技を取材することが多かったです。そのため、「このスポーツをメジャーにしたい」というような話をよく耳にしました。そう言っていた人たちは、メディアによく取り上げられれば”メジャー”になるだろうという風に考えていたのだろうと思います。記者の中にもそういう人がいたし、そして僕自身もそのように考えていたと思います。

しかし、1学期の間スポーツマネジメントを学び、アメリカのスポーツをいろいろと見てきた今は、それは違うと強く思っています。人気だけでは”メジャー”ではないのです。

ここ10年くらいの日本のいわゆるオリンピックスポーツの報道は、競技よりもまず目立つ個人にスポットライトを当てます。このスタイルで先陣を切ったのは卓球ではないかと思います。福原愛選手の存在は卓球と言う競技よりも目立っていた時期がありました。今でこそ、他の選手も知られるようになりましたが。その後、バドミントン、ビーチバレー、ハンドボールなども、まずはルックスがよかったり、取材の受け答えなどがしっかりしている選手を前面に押し出してきました。その選手も自分のやっているスポーツの認知度を高めようと、しんどい思いをしながらも頑張ってメディアへの露出を続けてきたのだと思います。

選手個人を取り上げることは、競技がわからなくても人々の共感を呼びやすいという大きなメリットがあります。

ルックスは人の目をひきつけるのが容易です。家族の物語などは「あのスポーツ選手も私に似ているところがあるんだ」と思ったりして、距離が縮まります。関心を集めるのには有効な方法です。

でもそこで”メジャー”になったと満足してしまっては、その競技の発展はそこで止まります。選手はいつか衰え、やがて引退するからです。注目を集めやすい選手の存在と言うのは、何かを頑張ったわけではなく、たまたまであることが多いです。

アメリカのスポーツの歴史上も、有名選手がその競技の人気を引っ張ってきたことが多々ありました。しかし、四大プロスポーツが発展したのは、人気だけで止まらなかったからです。

何をして生き残ってきたかというと、仕組みづくりです。

入場料を集めて運営できる仕組み(施設の充実、リーグ戦のルールづくり)。選手を育成する仕組み(MLBの下部組織など)。年俸を抑える仕組み(ドラフト制度など)。その試行錯誤を繰り返してきました。例えば、プロ野球やバスケットの初期の頃はいろいろな街を回って興行していたのですが、巡業するよりも、本拠地を持つ方が経営的に安定するということも、失敗を繰り返してわかったことだと思います。

日本のオリンピックスポーツではこの仕組みづくりが遅れていると思います。選手育成の仕組みはつくれても、プロ化の仕組みまでは手が回っていないのではないでしょうか。選手を雇用する実業団という仕組みは、経済の成長期には優れていた制度だったと思います。しかし、これほど世の中の専業化と分業化が進んでくると、困難です。30年前に比べたら、どの競技もレベルが上がって、練習や体作りや休養をしっかりしないといけませんが、と同時に各企業での仕事も複雑化し、レベルが上がっていることを忘れてはいけません。(最近の名刺の肩書きの複雑さを見てもわかるかと)

その意味で言うと、日本のバスケットボールはよくやっているのではないかと思います。あれだけの選手が競技で、食べられるようになったわけですから。リーグの分裂や合流なんて、アメリカでは珍しくもありません。

メディアの報道はブームを作り出すことはできます。しかし、長くは続きません。仕組みづくりは各競技のリーダーを中心に関係者たちが自力で頑張らないといけません。

安定した人気が何十年も続いて初めて”メジャー”と言えるのではないでしょうか。