スポーツマーケティングのケーススタディーで前から楽しみにしていたものが今週扱われました。
女子テニス、シャラポワ選手のブランドイメージがテーマでした。
シャラポワ選手が台頭してきた2003年から僕もテニスを担当させてもらい、日本の大会や四大大会での優勝などを取材する機会にも数多く恵まれました。
当時はものすごい人気だったので、通算すると日本選手に次ぐぐらいの分量の原稿を書いたと思います。写真週刊誌やはたまたファッション雑誌まで取材に来たりして、「フィーバー」というのはああいうのを言うんでしょうね。
ケーススタディーは話が少しさかのぼって、彼女が2004年ウィンブルドンを制した直後の話です。
一躍有名になって、世界中からたくさんのスポンサーのオファーが来ているが、果たしてどう選ぶべきか? を彼女の持つブランドイメージの観点から考えます。
ケーススタディーには著作権があり、あまり内容は詳しく書けません。それを題材に自分が考えたことを書きます。
(1)初期段階
当時のシャラポワの代理人を務めていた人は元テニス選手で、才能を見る目にも確かなものがありました。「彼女は特別だ。勝者のメンタリティーを持っている」と確信した彼は普通とはちょっと違う戦略を立てます。15歳になる前という非常に早い段階で、NIKEとPrinceと契約を結びます。知名度の高いメーカーから用具提供をされているということで「彼女は本物」というイメージをつくろうとしたのです。用具契約と言うのは、普通は有名選手が使っているから質が高いという「イメージ」を顧客に植え付けることを狙いとしますが、この手法は逆です。しかも金額も抑え、契約年数を若いうちに切れるようにしました。若くして成功して、次は大型契約を取るという狙いです。それだけの自信があったのです。
(2)美しくて、強い。でもそれだけでは…
シャラポワ選手と言えば、みなさんにはやはりあの美貌の印象が強いと思います。代理人もそれは「多くの人の目を引き付けられる理由の一つ」と認めています。しかしながら、彼はその美しさだけで売り込もうとはしませんでした。当時、一つの反面教師があったからです。スポーツファンの方は、アンナ・クルニコワという選手がいたのをご存知かと思います。ロシア出身、美貌、テニスが強い、同じアカデミー育ち、と、シャラポワ選手とイメージがかなり重なっています。しかし、世界ランキング最高8位にはなったものの、シングルスでのツアー優勝はなし。そして、モデル活動をしたり、ゴシップが多かったりとコート外の話題の方が注目を集めていました。
勝者のメンタリティーを持っている本物、というのをシャラポワ選手が前面に押し出したのは、性格が全然違うというのもありますが、クルニコワとの差別化という狙いもあったものと思われます。何かにつけて比較され、うんざりするほど質問されていました。「クルニコワ二世」みたいな言われ方は断固として拒否していました。
スポンサーの観点からすると、クルニコワ選手のようにゴシップが多くなってしまうと、商品のイメージダウンにつながり望ましくありません。また、美貌というだけなら、モデルや女優にもたくさんいるわけで、そうした人たちとは違うものがあるからこそ、美人女子スポーツ選手に依頼するわけです。勝者というイメージは重要です。スポーツの他にそのイメージをつくれる世界はなかなかないからです。
(3)サクセスストーリー
美貌、強いというイメージなら、他の女子スポーツ選手にもそれなりの数がいます。シャラポワ選手のイメージを際立たせたのは、家族の物語です。才能を信じて、ロシアからフロリダに渡ってきた。母親は地元に残し、父親が持っていたのはわずか700ドルで、英語もろくにしゃべれなかった。個人的には、金額などは眉唾ではないかと思わないでもないのですが、とにかく彼女は家族のためにも必死に練習し、勝利に貪欲だったというのは本当だと思います。苦労話は世界どこでも共感されやすいようで、この話を強調した彼女のプロフィールがあったことは今でも覚えています。
意外と知られてませんが、シャラポワ選手は2003年秋のジャパン・オープンでツアー初優勝をしています。そして、翌2004年にウィンブルドンを制し、一躍その名を世界に広めました。人生をかけてロシアからフロリダに渡った少女が、世界で最も有名なテニス大会を若くして制したのですから、最高のサクセスストーリーです。「女王」というイメージが確立されました。
ケーススタディーでは、上記のような分析を行った上で、どのような会社がふさわしいかを検討していきました。
実際にはウィンブルドンの優勝直後にコート上から母親に電話しようとしてつながらなかったことから、モトローラー社と契約したりします。家族とのつながり、サクセスストーリーをイメージさせる効果的な契約です。
他には、「女王」のイメージだから高級な化粧品がいいのではとか、ウィンブルドンは英国なので英国本社の会社がいいとか、テニスは世界を回るのでロシアへの進出を考えている世界的な企業がいいとか、他の人とは違う彼女のイメージを生かして、契約を絞り込んでいくやり方を考えました。なんとなくのイメージというのは今までも持っていたと思いますが、一選手のブランドイメージはどう作られているかを深く考え、考えるプロセスを習得できたのは今後の財産になりました。
クラスが終わって席を立つ時、後ろに座っていた韓国人の友人が「シャラポワはアジアの国から稼いでるよね。あだ名はロシアの天使だったけ?」と話掛けて来ました。
「ロシアの妖精だったよ。日本では」と僕。
そしたら、隣にいたアメリカ人の女子が「あんなにデカい妖精はいないわ」とピシャリ。
忘れられないクラスになりました…。
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Sports PR Japan 株式会社 代表取締役
13年間の記者経験と米国留学を経て広報に転身。日本ブラインドサッカー協会で初代広報担当として認知度向上に貢献し、PR会社でのコンサルタント経験も豊富。スポーツビジネスに特化した広報支援を展開し、メディアとクライアントへの深い理解を基に、ブランディング強化や認知度向上をサポート。スポーツ関連団体や企業に対する柔軟な対応で、成長を目指すスポーツ関係者から高く評価されている。