クラスメートのリッキーは、レスリング部のヘビー級の選手だ。
周囲に気さくに話しかけ、笑わせるムードメーカーという感じがする。ただ、胸板の厚さ、首周りの筋肉、そして格闘技をしている人に独特の鋭い気配がどこか漂っている。
カリフォルニア州出身。たまに、出身校のUC DAVISのトレーナーを着ている。
11人きょうだい、父親がメキシコの元プロボクサーということは知らなかった。まして、彼が「あいつらの弟か」という目で見られて、大変だったということも。
最近、学内新聞に彼のことを紹介する記事が載った。彼が7年生(日本の中1)の時、兄の一人が無期懲役となり、その後、服役中に殺された。家族のショックは大きく、きょうだいたちはドラッグ、強盗、暴力行為などに走ったという。豊かな家庭ではなく、11人のうち、高校を卒業したのは3人だけ。ただし、リッキーにはスポーツがあった。
ハイスクールでは、フットボールのディフェンシブタックルとして頭角を現した。第二の父と慕う教師との出会いもあった。その勧めでオフシーズンにレスリングも始めた。フットボール選手としてもいくつかの大学から声が掛かったが、レスリングの方が年々強くなっている手ごたえがあった。州で3位となる実績も残した。学業にも熱心に取り組み、自分で思ってもみなかった大学進学まで果たすことになった。
2年生から試合に出場するようになり、4年生までに2度もNCAA選手権(全米大学選手権)に出た。順風満帆に思えた。そのままUC DAVISの大学院に進んで、もう1年競技を続けるのが当然と思っていた。しかし、大学は財政が苦しく、突然レスリング部を含む複数の部を廃部とすることを決定した。「ここを出て、他で競技を続ける」と迷いはなかった。重量級の指導者に恵まれていること、学業で学べることも充実していることからインディアナ大学を選んだそうだ。
リッキーは今、シーズン真っ只中。選手登録が4年目で最後のシーズンだ。実力とその明るい性格で抜群の存在感を発揮しているという。今、周りにいる仲間と目の前に広がっている可能性は、スポーツのおかげと言えるだろう。
こんな選手とともに、スポーツを学べる。彼に見えているスポーツと、僕に見えているスポーツは違っているのかもしれない。でも、僕もスポーツの力を信じている。
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Sports PR Japan 株式会社 代表取締役
13年間の記者経験と米国留学を経て広報に転身。日本ブラインドサッカー協会で初代広報担当として認知度向上に貢献し、PR会社でのコンサルタント経験も豊富。スポーツビジネスに特化した広報支援を展開し、メディアとクライアントへの深い理解を基に、ブランディング強化や認知度向上をサポート。スポーツ関連団体や企業に対する柔軟な対応で、成長を目指すスポーツ関係者から高く評価されている。