「スタジアムにいるのに、選手たちの方に目がいかない」

試合を見に行っているわけですから、そんなことはないはずです。でも、私がそれの初めての感覚を味わったのは、2005年のピッツバーグでした。

MLBピッツバーグ・パイレーツのスタジアム、PNCパークに入った時です。ネット裏上段の席に座って顔を上げると、外野スタンドの向こうの風景に圧倒されました。黄色に塗られた橋と、その向こうにある高層ビル群、そして空。フィールドの緑やスコアボードに調和していて、思わず「ほおっ」と声が出てしまいました。

「この風景を見ながら、何時間でも座っていられるわ」

もう随分と前のことですが、今でもその感覚を覚えています。

 

その後、アメリカで訪れた他の場所でも、スタジアムから見える風景が印象的なところがいくつもありました。シアトル・マリナーズの球場は遠くに見える市街地が、インディアナポリス・コルツのスタジアムは巨大なガラスと窓枠で街の中心部の風景を切り取っていました。ベストな見栄えになるように、わざわざ道路に対して角度をつけて建築していることにも気づきました。ラスベガス郊外のサム・ボイド・スタジアムに行った時には、スコアボードの向こうに見える巨大な岩が強烈に印象に残りました。砂漠だったところに街を造ったことを思い出させるものでした。

韓国でも新しい野球場は、アメリカのようにボールパークという感じがあって、外野スタンドの向こうに街の明かりが見えるよう設計されているものがいくつかありました。日本では北九州市にあるサッカースタジアムが、港の向こう側の明かりが見えて、街の息遣いを感じます。

遠くの景色を、中から見る風景の一部に組み込む。こういうのを建築界では「借景」と言うそうです。もともとは、中国から入ってきた庭園の考え方で、日本の古いお寺などでもこの考え方が使われているものもいくつもあるそうです。本来は、自然物を取り入れるものだったようですが。ちなみに、「借景」という英単語はありません。英語圏で一般的な概念ではないのに、実際の建物としてはいくつも存在しているというのが面白いところです。

そういえば、スタジアムは本来、柵で囲って外から見えなくすることで、入場料を取れるようにした建築物です。スポーツビジネスのはじまりとも言えるでしょうか。だから、中に入ってみるのは、フィールド上の選手であり、プレーなのです。しかし、歴史を経て徐々に役割も変わってきて、公園化していきます。快適さを求めたり、目を休めたり、違うことを考えたりするのに、外の風景というのが大事になるのではないでしょうか。

そして、スタジアムのあり方は、今日でも変化しています。近年盛んに語られているのは、試合のない日にどのように活かすのかということです。収益のこともありますし、都市の機能としての議論もあります。解放されたパブリックスペースのように使われる例も出てきています。

スタジアムは街の真ん中にあるか、郊外にあるかのどちらかです。スタジアムのスタンドの向こうに街の風景が見えると、スタジアムと街が融合しているような感覚になります。郊外に建てる場合は、自然環境保護の観点から建設の反対にあったりすることもあります。スタジアムが周囲の自然になじむようにつくるのは、この議論や交渉の結果だと聞いたことがあります。

スタジアムが風景の一部として受け入れられている、また、スタジアムそのものが周囲とコミュニケーションを取っている、そんなことを感覚的に捉えられるかが、そこで行われているプレーを見ることに加えて大事なのではないでしょうか。

スタジアムから街がどう見えるかだけでなく、スタジアムを人がどう感じて、どのように使われるのか。スタジアムに行ったからこそ、そんなところまで考えたりします