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30年ぶりにニュージーランドに行く

22.8.23

仕事のペースが緩やかになるお盆休みの期間、仕事の締め切りを繰り上げて片付け、2年半ぶりに海外に行くことに決めました。
コロナ後、いろいろと変わっている海外の様子を知ることは大事だろうと考えました。

時差が大きい場所は、クライアントとの連絡に差し支えますし、体もしんどい。もちろん、滞在期間中にスポーツの現場視察ができるところしか選びません。当初は東南アジアを考えていたのですが、日本よりも暑い所に行くのもどうかと考え、7月下旬になって、ニュージーランドに行こうと決めました。

そう思いついたのは、今年は、私がニュージーランドに初めて行ってから、ちょうど30年となる区切りの年なんです。
そして、そこは私にとって初めて行った外国であり、またスポーツの仕事をするきっかけをくれた国でもあります。
ゆっくりと振り返ることができる、いいタイミングです。いろいろと得るものも、思うこともあるんじゃないかと、ここに決めました。

30年前というのは、大学に入って最初の夏休みのこと。学校が提供する1ヶ月半の英語研修プログラムに20人ほどの仲間と共に参加しました。北海道の田舎から東京に出てきて、まだ数ヶ月で、周囲には親の仕事の関係で海外生活した人や留学経験のある人も目立つ中で、私は先生以外と英語でコミュニケーションを取ったことがない。そんな劣等感を抱いていました。

大学の英語研修センターで、日本から行ったみんなと一緒に学ぶのがメインでした。しかし、ホームステイ先で日常会話したり、街中に出て会話して買い物をしたりすることで、自分の英語が実社会で通じるものという自信を得られたのは、非常に大きかったです。

また、当時、インターネットは一般人の手に届くところにはありませんでした。ニュージーランドについて知りたいことがあれば、周りに英語で質問をするか、図書館に行って調べる。日本について、いろいろなことを聞かれて、なんとか英語で説明をしなければならない状況も数多くありました。
話題は多岐に渡るわけですが、私の場合はニュージーランドのスポーツ事情について知りたいことがたくさんあって、学校のクラスの中や、ホストファミリーに尋ねたりしました。また、日本のラグビー事情について聞かれて、わりとすらすらと答えられたりしました。当時の日本は大学の方が人気があったことや、日本代表の多くは会社員で、勤務時間を減らした形で競技と仕事を両立していることなどです。

そんな様子を見ていたホストファザーから、ある日、「そんなにスポーツに対して好奇心があるのなら、スポーツジャーナリストになって世界を見て回るのがいいんじゃないか」と言われました。

ニュージーランドを訪れただけでも、スポーツについてたくさんのことが知れたし、日本との違いも分かったし、自分の説明でわかってもらえるのも嬉しかったんです。「自分のスポーツへの探求心や興味が仕事になるなら、最高だ」と思って帰国後、本気でマスコミを目指して、準備するようになりました。

今回、30年ぶりにその大学を訪れたのですが、当時の場所や建物は全く思い出せませんでした。歩いてる人に尋ねて、英語学習センターに行くのがやっと。コロナ禍で留学生も減っているのでしょう。英語を学んでる学生たちも、少ししかいませんでした。さすがに昔すぎて、残念ながら感動の再会も起きませんでした。ただ、キャンパス内のレストランで、現地の学生達がラーメンやカツ丼を食べられるようになっているのを見た時には、隔世の感がありました。

その日以降は気を取り直し、現地のスポーツについて理解を深める、いつもの出張のスタイルになりました。
3都市を訪問し、ラグビーを3試合、バスケットボールを1試合観戦しました。他にもラグビーの聖地、イーデンパークのスタジアムツアーも楽しみましたし、ニュージーランドラグビー博物館も勉強になることが山ほどありました。オールブラックス・エクスペリアンスという新しい体験型施設も非常に興味深いものでした。写真は1500枚ほど、会話の中からメモに書き残したことやアイデアが浮かんだことも多く、クライアントへの提案の中に含まれることもあるでしょう。

現場にいる時間以外でもテレビ、新聞、雑誌でスポーツ情報を日々仕入れること。せっかく食事をするなら、スポーツバーに行ってみようということで、女子ラグビーの試合の生中継を見ながらサンドイッチを食べました。
このあたりは、世界中どこに行っても、私がいつもしていることです。

30年前にホストファザーに指摘されたように、私のスポーツへの探求心は今も変わっていません。
英語がある程度わかるおかげで、仕事で海外に行く機会をたくさん得ることができています。スポーツを深堀りできただけでなく、スポーツを通じて、その国や文化や生活、別の価値観を知ることもできました。異なる文化の人、海外に住む人と一緒に、仕事をする機会も当たり前に持てています。
30年前の自分には想像もできなかったような事や場所にたどり着けて、スポーツと英語のおかげで、人生が豊かになったなと改めて感じました。

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この記事の執筆者

早川 忠宏

早川 忠宏 | Tadahiro HAYAKAWA

スポーツPRプランナー ®
Sports PR Japan 株式会社 代表取締役

13年間の記者経験と米国留学を経て広報に転身。日本ブラインドサッカー協会で初代広報担当として認知度向上に貢献し、PR会社でのコンサルタント経験も豊富。スポーツビジネスに特化した広報支援を展開し、メディアとクライアントへの深い理解を基に、ブランディング強化や認知度向上をサポート。スポーツ関連団体や企業に対する柔軟な対応で、成長を目指すスポーツ関係者から高く評価されている。

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