最近、日本でもFacebookの利用者が増えているらしいですね。
僕はこちらに来る直前、留学する仲間に勧められて始めましたが、アメリカの大学生にとっては必須アイテムという感じです。
Facebookでは自分が行ったパーティーやイベント、旅行などの写真を掲載するのが定番で、みんながそれについてコメントをくれるというのが主な楽しみ方になっています。
ただ、それらを眺めながらいつも思うことが一つあるのです。経験集めはやめようと。

僕も一年くらい前まですごいことだろうと思って、写真を見せたり、体験をちょっと自慢したりしてました。
記者の仕事をしていると、普通ではなかなか体験できないことをかなりたくさん経験できるのは事実です。
オリンピックも肌で感じた、ワールドカップも取材した、ウィンブルドンも見た、メジャーリーグの球場だって10以上行っている。
正直言って、初めて会った人に飲み会などでこういう話をすると強烈なインパクトを残せたと思います。「うららましい~」と言われて優越感を味わったことも何度もありました。

でも、見た、行った、やったに大した意味はないんです。

この大事なことを教えてくれたのは、留学カウンセラーの方でした。
大学院に出願する時にはレジュメ(経歴書)やエッセイで、自分がどういう人間であるのかをコンパクトに伝えることが必須です。
僕は、上記のような見た、行った、やったをズラッと並べて、どうだ、という気持ちになっていました。

しかし、それは勘違いも甚だしいものでした。

カウンセラーの方からは「体験を通じて何を学んだのか。自分と周りの何が変わったのかを書いてください」と念を押されました。
受け取る側からすると、何を自分たちの学校にもたらしてくれるのか、変化を起こせる人なのか、という部分を知りたいわけです。

個人の人付き合いでは、あまり意識していないかもしれませんが、周りによい変化を起こせる人はやはり多くの人に好かれているのではないでしょうか。
例えば、珍しい動物を見たという自慢は、聞かされる他人にとって大した意味はないんです。それより、その珍しい動物を見たことで自然保護の意識が高まって、募金活動を始めたとなると、他の人にもすごく意味が出てきます。
話を聞く側になった時に、僕が今書いていることが分かるんじゃないかなと思います。

僕自身を例にすると、いろいろなスポーツの現場を見たことに意味があるのではなく、そこから、学んだことを元に、たくさんの人にお返しをして初めて意味があるわけです。クラスで発言することもそうですし、スポーツのルールや知識を周りの人に教えたり、時にはスポーツで将来やりたいことも話します。それが、このブログを書いている理由の一つでもあります。

トライするのをやめろと言っているわけではありません。それで満足するのはどうか、という話です。

留学生活って、新しい体験をするチャンスが次々とやってきて、ともすれば、見た、行った、やった、ですごく満足してしまいがちです。でも、「留学して、異文化体験した、学位を取得した、英語がうまくなった」というのは別に大した話じゃない。留学すれば誰もが味わうことで、「銭湯に行って、風呂に入った」というくらい当たり前のことです。

焦点を置くところを間違えてはいけません。そのことを留学する前に気付けたことは本当に大きいと思います。
今、僕はインディアナ大学のスポーツ環境の中で、自分がどんな変化を起こせるのかと考え、日々行動しています。