ある競技を何年もやっているからと言って、それに精通していると考えるのは早計ではないでしょうか?

深く考えることなしに、その競技を続けることは、実に簡単なことです。ただ、やればいいだけですから。

僕は以前から、駄目ならクビになるプロの世界を除き、「経験が長い」というだけで、リスペクトするのは思考停止だと思っています。一方で、やっている期間は長くなくても、実に深く考えているな、という人に出会うこともあります。発言内容が全然違います。つまり、プレーしていることと、考えることは別ということです。

最近、読んだブログ記事「2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて、自分がCriacao(クリアソン )として伝えていきたいこと」で、久々にそのことがインスパイアされました。筆者は、「スポーツを通じた人間教育」と言う言葉は「価値のあることをやっているかのような錯覚に陥るような、そんな魔法の言葉」と言い、自分たちは「各スポーツにおける教育的価値を再定義する」と、わざわざ宣言しています。実際に、トップアスリートを交えたり、体育会の学生向けに、そうした活動を行っています。スポーツをざっくりと考えている場面が多くないですか、もっとそれぞれの競技の特性に基づく価値を深く掘り下げて考えましょうという提言です。記事中では、サッカーについて、深く考えた例が挙げられています。

 

僕は、教育的価値という観点だけではなくて、スポンサーシップや社会貢献活動でも、各競技の価値を定義する必要があると、かねてより考えてきました。それは、まだ全く注目されていなかった時の日本ブラインドサッカー協会に関わっていた経験によるものです。活動の機会を増やしたり、より多くの活動資金を得るためには、世の中に価値を訴え、説得していかなければなりません。「ブラインドサッカーの価値って何だ?」「サッカーであることじゃないか」と、当時、そこまで考えていました(なぜ、サッカーであることが価値なのかは、例えば、FIFAワールドカップを見ればわかります)。

そこが出発点だったので、他を見ると「それ、他の競技でもいいですよね」とか、「そもそも、スポーツじゃなくてもよくないですか」と言いたくなるような事例が、日本にはたくさんあることに気づきました。お金を出す企業の側よりも、むしろ、その競技を行っている個人や団体の側、もしくはその契約を仲介する人に、各競技の価値を掘り下げていない責任があるような気がします。あんまり難しく考えなくて契約できる方がいい。まあ、人間、楽したいじゃないですか。

ただ、時代の趨勢は、そんな楽ばっかりできなくなってきました。スポンサーシップや社会貢献活動が、本当に本業にとって意味があることなのかを見る目が厳しくなってきており、社内から批判の声が上がったり、投資家から突っ込まれるケースも出てきていると聞いています。企業の側からすれば、別に他の分野を選んでもいいわけです。

深く考えなければいけないのは、スポーツをやっている側で、自分も含めて、危機感を持って、アクションを起こさなければいけないなと感じています。その競技ごとの価値を考えるワークショップを行うとか、そこで自覚した価値を組織内や世の中に広めるとか、広報・PRの活動の一つとして取り組むことができます。