緊急事態制限が明けて2週間以上が過ぎ、世の中のムードが大きく変わってきたと感じています。だからこそ、忘れてしまわないように、この2ヶ月間に集中的に取り組んだことをまとめておきます。危機に際して、自分が何を考え、どんな行動を取ったのかの記録です。
緊急事態宣言が出る、出ない、それによってお客様たちの会社がどう動くかも変わってくるため、局面が一週ごとに変わるような感じでした。また、それに合わせて発信する情報も変わるため、コミュニケーションを取る機会は増えました。会社として出来ることが限られてしまい、お客様たちも苦しい状況にありました。頭の中にあったのは「お客様と話そう。不安を解消しよう。つながりを大事にしよう」と言うこと。「本当に困っていることなら広報PRの範疇を超えても助ける」「些細なことでも何かのヒントになればいい」と考えて伝えることを続けました。
世の中の空気で「お得ですよ。安くしますよ」といった類の広告を完全にストップした中で、頼りになるのは広報PRです。また、お客様がその顧客と当たり前のように取れていたコミュニケーションが断たれました。そうした中でも、どのようにコンタクトを取り続けるのかの策を共に考えました。今思えば、スポーツの価値を共に考える、当社のミッションに徹していた気がします。それは、これまでできなかったことにチャレンジする機会ともなりました。例えば、文章だけではなく、動画を使って顧客とコミュニケーションを取ることです。やればできるという自信、お客様のマインドの変化もありました。
早い段階で着手したのは、自社の財務の見直しでした。お客様の売上が大幅にダウンする中で、自社の売上もダウンするのは免れないと判断。最低限いくらのお金があれば乗り切れるのかを計算しました。会社にとって、一番大きな出費となるのは、自分に対する役員報酬です。これについては長く使っているマネーフォワードのデータをもとに、これまでの生活費を見直し、最低いくらの月給をもらえばいいのかを計算し直しました。
また、周囲の経営者の話から「会社は固定費で死ぬ」と、ひしひしと感じたのもこの時期です。コンサルティング業は接客する場所やモノを置く倉庫もいらない、固定費の少ないビジネスです。それでも、顧問税理士との契約料、通信費など削減できる可能性のあるところを明確にし、次年度の予算に反映することを決めました。
次々と入ってくる助成金や貸付金の情報も大いに気になり、受ける可能性も検討しました。しかし、それを受けるために、会社としてのアクションが遅くなってしまっては良くないと考え、「あてにしない」という決断を下しました。救済措置のお金が入ってくることより、地道に営業力をつけたり、もっと売れるサービスを考えたりすることの方が大事だと判断しました。これにより、申請書類の作成や役所とのやり取りなどの時間を取る必要がなくなりました。
次に思ったことは「自分が契約しているお客様がこれだけ苦しんでいるのだから、他にもそういう人がいる」ということでした。「困っている時にこそ仕事をするのがコンサルタント」と改めて思いました。
そこで、期間を区切って、何人かの知り合いの社長に無料コンサルティングの打診をしたところ、いくらかのご依頼があり、一つのテーマについて30分もしくは1時間の対話をし、少なくとも一つの打ち手を見出す「スポットコンサルティング」を実施しました。短い時間でもお役に立てる、という自信を得ましたし、オンラインでわりとスムーズにコンサルティングができる手応えも掴みました。近い将来、新幹線代などをご負担頂かずに地方のお客様に対して、オンラインコンサルができると思っています。
正直言って2期目で、もう少しお客さんを増やしたいと思っている局面で、コロナの問題が発生し、経済状況は悪化、会社は一斉に緊縮財政、世の中のムードは新しいことを始めてみようという感じではなくなってしまいました。これから、と思っていたら、思い切り躓いた感じです。コロナの問題は長引くと言われていました。そこで着手したのは、オンラインでの情報発信の強化です。会社のホームページを今年2月に立ち上げていたのですが、手付かずで、陸の孤島のように訪問者がほとんどいない状況でした。まずは、ブログを適宜更新することで訪れるきっかけをつくったり、検索でヒットする確率を地道に上げる策を取り始めました。
留学を機に10年前に始めたスポーツビジネスに関するブログがあったのですが、その記事を会社ブログに移行することも進めていきました。本数が多くまだ終わっていませんが、これは過去の自分の思いや考えをここに集めておくことで、今やっている仕事に至る紆余曲折を残すことになります。また、スポーツビジネス、スポンサーシップ、スポーツコミュニケーションなどに関する多くの記事は、今読んでも役に立つもので、「昔、こういうのを考えたことがあって」と、お客様に見せられるのがいいなと思いました。
当初予定通り3月から始めた月2回のメールマガジンも地道に続けています。スポーツビジネスに携わる方を対象に、現場で役に立つ実践的な話を書くことにしています。読者も少しずつ増えてきましたし、感想を頂けるようになってきたのも励みになっています。その時の世の中の空気を感じ取り、何を伝えたら喜ばれるのかを毎回考えることがやりがいです。
また、知り合いやそこからの紹介に頼るばかりでなく、人が多くいる場所に出ていこうと決めました。特に、今のお客様は会社や組織だけですが、個人でスポーツビジネスを頑張る人も助けたいと思っています。そこで、noteに進出しました。穏健な書き手が多い印象があったのと、このところスポーツ関係の記事も増えてきていたので、ベストな場だと判断しました。noteにおいて読み手が望むものをまだ掴みきれていない感じで、トライアルアンドエラーを続けているところです。
少し時間が経ってくると、このコロナの問題を俯瞰して考えるようになりました。スポーツ界はどう変わるのか、ビジネスはどう変わるのか、コミュニケーションがどう変わるのかなどへの関心が湧き、それらをテーマにしたオンラインセミナーを聞いたり、記事も読んでインプットを意図的に増やしました。加えて、この期間、自分が経験したことも含めて、どう変わるのかの大きな流れを予測した記事を自社のブログに発表しました。今の気持ちや考えを言語化して残しておくことと、将来振り返る時に価値を生み出すことは10年のブログ経験でわかっています。
在宅勤務やオンラインミーティングは、この3月より前にもいくらか行っていたので、仕事のやり方の変化への適応は、比較的簡単だったように思います。むしろ、プライベートの方が適応に時間がかかりました。元来、私は休みの日に家にいないタイプで、今回の危機で世界的にスポーツイベントもなければ、読書会やトークショーなどに行くこともできず、お店や図書館までもやっていない状態に。しかし、スポーツ観戦の不足は、アマゾンプライムやネットフリックスのスポーツドキュメンタリーを見ることで補ったり、Facebookを通じて入ってくる情報で、セミナー、飲み会、さらには落語や演劇など自分が好きなエンターテイメントがオンラインで楽しめるようになったことを知り、それを経験することで生活に張りが出てきました。制限の中で何とか新しいものをクリエイトする人々の姿勢にも励まされました。
それから、私はわりと慎重な性格で、いわゆるアーリーアダプターに入るんだなと改めて思いました。例えば、オンライン飲み会に便利なツールを感度の高い友達が紹介してくれて、その場に自分も行ってみて、良ければ自分も主催してやってみました。オンライン対談を企画したりと、積極的に動けるようになってきたのが5月半ばぐらいでした。
家に引きこもる生活が続いたことと、漠然とした不安感があったことで、ゴールデンウィークのあたりには何もやる気が起きない日々を経験しました。しかし、インプットとアウトプットの機会が増えたことで、次第に心身のバランスも取れてきました。
「危機の時に本当の姿が現れる」と、言われたりします。まとめると、3つの自分の姿が見えました。
書いて客観視してみたら、今後に大いに役に立ちそうな気がしてきました。
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Sports PR Japan 株式会社 代表取締役
13年間の記者経験と米国留学を経て広報に転身。日本ブラインドサッカー協会で初代広報担当として認知度向上に貢献し、PR会社でのコンサルタント経験も豊富。スポーツビジネスに特化した広報支援を展開し、メディアとクライアントへの深い理解を基に、ブランディング強化や認知度向上をサポート。スポーツ関連団体や企業に対する柔軟な対応で、成長を目指すスポーツ関係者から高く評価されている。